国鉄自動車の「未成線」(8)遠野線陸前高田~福伏間

国鉄は、1949(S24)年12月20日に遠野自動車区を所管自動車区として、当時臨時運営中であった、陸前高田~福伏間6.5kmの一般乗合旅客自動車運送事業の開始許可を運輸大臣に申請した。

ア 申請事業計画の概要
国立公文書館デジタルアーカイブで公開されている本事案の旅客自動車免許関係文書に基づいて申請された事業計画を概観すると次の通りであった。

① 路線
起点 岩手県気仙郡高田町並柳19
終点 岩手県気仙郡気仙町字福伏200

② 延長 6.5km
③ 所管 遠野自動車区
④ 自動車 旅客車13両、貨物車7両、輸入車5両

⑤ 運転回数
陸前高田~福伏間(7.0km)6往復

イ 申請理由
国鉄は、本事案の申請理由を次のように述べていた。

「本区間は高田・気仙沼線の一部で、従来より交通機関に恵まれず、その終点である長部港は岩手県屈指のいわしの陸揚地でこれに従事する労務者は今泉・高田方面にも分散しているので、交通不便なため増産を阻害されること甚だしくあるので、これら労務者の輸送を確保することによって海産資源の開発を促進し、併せて沿道民の交通利便を図る使命を持つものである。」

ウ 審査経過
本事案の審査経過は次の通りであった。
・進達 1950(S25)年5月30日
・陸運局照会 1950(S25)年2月7日
・陸運局調書到着 1950(S25)年3月27日
・運審重要事項認定 1950(S25)年4月13日
・運審への諮問 1950(S25)年4月14日
・公聴会 1951(S26)年5月17日
・地方審審議 1950(S25)年4月23日(承認不適当とする判断。)
・運審審議 1950(S25)年6月1日(承認不適とする判断。)

エ 経営不承認
本事案は、既に民営事業者において輸送需要を満たしているので、1950(S25)年7月13日付で不承認となった。


【参考】
本事案について、仙台陸運局長発運輸大臣宛の意見書(昭和25年3月15日付仙陸自監第405号)では、「この路線は民間業者の路線の一部であり、次の理由により承諾しないのが妥当と認められる」と述べられていた。

「(1) 既存バス業者に及ぼす影響
現在、高田~県境(福伏経由)間は岩手県南自動車(株)が4往復、また県境~気仙沼間は仙北鉄道(株)が2往復運行中であるが、両会社は1往復相互乗入の認可申請中(2月9日付け仙陸自監第219号進達)のところ、3月15日付で認可になったので、高田~福伏間は5往復に増強されたこととなり、且つ今後も輸送需要の増大に応じて増車、運行回数の増加等を用意しているので、他に国鉄自動車の進出を必要としない。

(2) その他
岩手県南自動車(株)が先に高田~福伏間の路線延長免許申請の準備を進めていたところ、同区間に国鉄自動車延長を県民に公約した岩手県選出の某代議士及び某県会議員がこれを聞き込み、右会社の社長にその申請を中止せしめ、客年9月15日から強引に国鉄バスを高田~長部港間(4.5km)に無許可で6往復運行を開始せしめたものと言われている。

その後、仙北鉄道(株)が気仙沼~高田間の路線延長の免許申請をしたので、岩手県南自動車(株)も申請中止中の高田~県境間の延長申請をした。一方、仙北鉄道は県南バスと資本的に密接な関係があるので、前申請を取下げ改めて気仙沼~県境間を申請し、両会社とも客年11月10日付で免許となり、現在(1)に既述したとおり運行中であり、且つ相互乗入の申請は3月15日付で認可になった。

自動車運送事業の健全な発達を図り公共の福祉を増進することを使命とする行政庁としては、独立不羈、あらゆる厭力を排除し、厭制と違法の開花を断乎として防止し、業界に心の安きを覚えしめることの必要を痛感する。」


筆者が参照した限りでは、免許当局の公文書で上記のような内容が記述される事例は他に見当たらなかった。

上記の記述からは、当時、省営自動車の運行が地方利益として(地方)政治問題化していたことをうかがえる。
また、この当時、限られた燃料資材の下で休止路線の再開と車両の整備に専心していた民営バス事業者と、国費と燃料資材を背景に新線開業を図る国営自動車(後の国鉄自動車)との対立が各地で見られていた。


【その後】
本事案が持ち上がった1949(S24)年から63年後の2012(H24)年12月20日、国鉄の後身であるJR東日本が、岩手県南自動車(株)の後身たる岩手県交通(株)に委託して、大船渡線BRT気仙沼~盛間の運行を開始した。併せて、鹿折唐桑~陸前高田間に「長部」駅が設置された。

本事案を踏まえて今日の大船渡線BRTの運行を眺めると、筆者には感慨深いものがある。

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